もう 6年前になるのかな、息子が 2歳くらいのとき、とある公園で遊んでいると
同じ歳くらいの子が両親とじいじばあばとやってきました。
その子は「あっくん」と呼ばれていました。
※わたしの側にあっくんという子がいてもその子じゃないですよー
あっくんは大人 4人に囲まれて、大事に育てられていたのだと思います。
あっくんが何かをする度に
「あっくん、危ないからだめ」
「あっくん、やめなさい」
「あっくん、走らないの、転んだらどうするの」
「あっくん、これはこうやるのよ」
「あっくん、あっくん、あっくん、あっくん、あっくん・・・・・・」
・・・・・・・
「あっくん」の自由のなさを見た途端、わたしから
怒りと、悲しみと、苦しさと、もどかしさと、切なさと、、いろんな感情が湧き出てきました。
***
これはあっくんが見せてくれた、#みかちゃんの心の中身です。
わたしはこの自分の気持ちを解明するべく、そして同時に思った
もっと好きなことをあっくんのペースでやって、感じることをさせてあげたいなーとか
やってみたい!という好奇心を大事にしてあげたいなーとか
失敗もたくさんして、自分で学んでいけたらいいのになーとか
大人はそんなあっくんを支える人でいれたらいいなーとか
そーいう気持ちを形にするべく、行動をしていくことを決めました。
※というか、行動していったら形が出来上がった
それは今、子どもたちの意思を尊重する場の Pygmy School と、Short Story という「言葉」で自分の気持ちを解明して表現していく場として存在しています。
***
ちなみに、あっくんがこんなにも心配されていることの根本は「愛」です。
けれど、その愛はやりたいことを阻害された子どもには届きにくいものでしてーー
大人の気持ちとは裏腹に、2歳のイヤイヤ期やその後の思春期の中でそのズレは出てくるでしょう。
じゃあ、どうやったら「愛」が届くかというと
その反対の、「やりたいことを阻害しない」をする。
これに限るのです。
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