「地球ってキレイなんだよ、生まれてきたら一緒にいろんなもの見ようね」
我が子が生まれてくる前、私はよくお腹に話しかけていました。
キレイって言っても、道端に咲いている花や、見上げて映る雲や、同じ景色がない自然の神秘さのことで、インドアな自分がまさか登山をするとは思わなかったけれど・・・(笑)
気がついたら共にこんな世界に行けていました。
私と息子の「登山歴」は、息子が 1歳10ヶ月の時に行った高尾山から始まったのですが、この時は「抱っこ〜」も多くてとてもじゃないけど山頂には辿り着けませんでした。
※ケーブルカーを使えば行ける人は行けます。Pygmy Outdoor Lifestyle School に通う 2歳児はケーブルカーで途中まで行ってからは歩いて山頂に行けます。1歳半の子は抱っこありで山頂に着けました。ご参考に〜
今では息子と富士登山や標高3000m級のアルプス登山ができるようになったのですが、登山歴「0」だった私は 1歳10ヶ月の息子と同レベルで登山をして来て、自分に力を付けてこれたのだと思っています。
ちなみに、一緒に始めた登山なのに(しかも私はお・と・な・・・)7歳の時に息子がトライした槍ヶ岳から前穂高岳までの大キレット縦走は私はできず、息子だけ成し遂げました。既に親を越えた息子なので、母親ヅラなんてとてもじゃないけどできません。
(゚∀゚)
参考記事『 心のよりどころ 』
そうそう、私が息子と自然体験をするようになって良かったなーと思うことの 1つとして、一緒に何かを体験してその時間や空間を共有すると、自分自身の不甲斐なさもそのまま息子に見せる羽目になるので、
「できる親ヅラ」をしなくて良くなったことが上げられます。
親だからちゃんとしていなくてはならないとか、親だからできる姿を見せるべきとか、親だから失敗しちゃいけないとか、
自然が相手の中では無理だし、無意味なのです。
しかも、私の場合は息子は 7歳にして親を越えてしまったわけです。
そりゃー自然と尊敬の念が湧いてくるものでして、小さなあの子を「育ててあげなくてはならない」と思っていた自分が恥ずかしくなりました。
「自分が育てるべき存在」→「勝手に育つ人」と思い込みを変えてからは、見事に息子は息子らしさを持って育っています。これが息子の人生なのです。
「育てる」と言う概念を無くした時に、初めて共に「楽しむ」ことができることを自然は教えてくれました。
だからね、自然の中にいても、大人に従わせていたり口うるさく子どもに指示をしている人を見ると、もっとその子を信じて欲しいって心の底から思います。そしたらもっと楽しいのにって思っています。
それにね、子どもの持つ力を信頼するって、自分を信じているかどうかの現れだから、子どもにペースを委ねることができない人を見ると・・・・
我が身を振り返って、自分と向き合うようにしています。
私は自分を信じているかな、って。
私は息子を育てていません。その代わりに育ててくれる環境は作っています。
それは山だったり海だったり人だったり、これだけは親の自分が選んでいるし、選ぶべきものだと思っています。
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