Pygmy Outdoor Lifestyle School では週に1回子どもたちが Cookingをする日があって、メニューも子どもたちと一緒に決めることが多いのですが、


一人の子が「カレーライスたべたい!」と言ったので次週の Cookingでカレーライスを作ることになりました。


その時に私の隣にいた「まだカタチにならない言葉を話す子」がコーンが好きだったので、「カレーの中にコーン入れたい?」と聞くと頷いたので、コーンを入れる約束をしました。


しかし、カレーライスを作る日にどうしてもコーンが手に入らず、コーンカレーを作れないことになりました。


私は正直にその子に「コーンがなかったの。だからコーンカレーはできないの」と言うと、眉をひそめて悲しそうな顔をしました。


それから「代わりに今度コーンお焼きを作るってどう?」と提案すると、パッと笑顔になって嬉しそうに遊び出しました。


まだ話せない子も大人と同様に「気持ち」があることがこの出来事から良く分かります。


言葉は「その人が」知っている言語を並べたものに過ぎないから、大人でも言葉で話し合っても分かり合えない時があります。


そんな時は、並べられた言葉の中にある「気持ち」を感覚としてキャッチすると、相手の言いたいことが理解できたりします。


先日の富士登山で山小屋に泊まった時に、こんなことがありました。


同じ山小屋に小学1年生の女の子が宿泊していたのですが、人懐っこい子で私たちが話し掛けるとニコニコしながらお話しをしてくれました。


夕方になって皆がくつろぎ出した時、フト見るとその子はトランプで遊んでいる外国から来たグループに混ざって楽しそうに過ごしていました。


英語、話せないのに(笑)


その子にとって言葉は重要ではないことが分かりますよね。


そうそう、私も似た体験をしたことがあります。


人じゃなくて犬なんだけれど・・・・・


私は小さい頃に犬に何度も追い掛けられる体験をしたので、犬は追いかけてくる怖いものだという印象を強く持っていました。


体が大きい犬なら威圧感を感じ、小さくてもキャンキャン吠えるそのエネルギーに圧倒されていました。だから犬が苦手でした。※見ている分には問題なく興味もあります


で、Pygmy School の活動の中で柴犬マリコと出会います。


初めは私はマリコには近づきませんでした。優しいつがるおじさんが飼っている犬だからといって気も緩みませんでした(笑)


それからしばらく子どもたちとマリコと飼い主のつがるおじさんとの関係を観察している内に、私の中にある犬への思い込みが崩れていきます。


マリコの誰にも媚びず我が道を行く姿や、おじさんとの世界を信頼している様子や、臆病なところがあることや、私たちよりも多くを知っていることなどを知り


※私の感覚での話ですよ〜


気がつくとマリコのことが好きになっていました。


で、とある二人きりになった時に、


「マリコいつもありがとうね。私、マリコが初めて心から好きになった犬だよ」と声を掛けました。


そしたら、伏せていた顔を上げて私の顔に近づいてきて、チョンっと私の足の上に座りました。


私は犬と言葉の中にある感覚が通じ合う体験をしました。同じエネルギーになった感覚と言うのかな。


その翌日、いつもは誰にも付いていかないクールなマリコが私と歩く速度を合わせて顔を見上げながら付いてきて、共に歩む体験もしました。


きっと動物の飼い主さんはこういった体験がたくさんできるのかな、と思ったら動物と一緒に暮らしてみたくなりました(笑)。


まあ、今は言葉を話さない又は言葉が巧みでない「子ども」という動物さんたちの領域の人たちに囲まれているので、日々満足しているけれど。


言葉を話せない子(周囲が知っている言葉になる前の子と言いますか)と接する楽しさは、こういった感覚でのコミュニケーションにあると思うので、


言葉が遅い子は何かと心配してしまう方もいると思うけれど、是非この感覚の時期を楽しんでほしいと思います。


言葉じゃなくて感覚でコミュニケーションを取るって、頭じゃなくて心で相手を知ろうとする行為だから、大人の「自分の心の声を聴く」ことへの練習にもなります。


私は日々これを繰り返す環境に身を置くことで、自分の本心に触れる体験を積み重ねることができています。


そうすると何が良いかって、本音で生きる子どもとの間にズレが殆どないので、無闇に怒ることがなく、子どもと暮らす每日が割りと穏やかに過ぎていきます。


あんなに「この子のことが分からない」「私には育てられない」って思っていたのに。人は変われるものですね。

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