富士山の5合目の佐藤小屋でお餅つきをしました




子どもに関する仕事をしているとこういった卒業などで「別れ」の体験を多くするのですが、


子どもとの別れはどんな時でも寂しくて、できるならずーっと成長を見守っていたいと思ってしまうものでして、


初めの頃は離れる子がいるとオイオイと一晩中泣いて悲しんでいました。


しかし、そんなやり方をしていては自分の心がもたず、別れの多いこの仕事を続けるのが嫌になってしまうと思ったので、


思い残すことなく子どもたち送り出せる方法」を考案してきました。


それは、


日々の中でちゃんと向き合うこと」です。


向き合うこととは、


思い残すことなく話をすることだったり


本音を伝えることだったり


相手のことを理解しようとする姿勢だったり


ありのままの自分の姿で接することだったりします。


これは子ども関係の仕事に就いていなくても


我が子との日常や、


いつでも震災に合う可能性がある日本に住んでいることや、


いつどんなことがあるか分からないこと(予知能力がない自分)などにも役立つことなので、


私はこれらを每日会う我が子とも、たまにしか合わない友達とも、自分自身にも意識をして行っています。


そう、「向き合う」って意識をしないと結構難しいんですよね。


我が子なら一方通行に大人がものを言うんじゃなくて、幼児でも何歳でも相手の話を聞いて双方向のコミュニーケーションを取ることだし


自分自身なら、「自分のことだから後回しでいいや」とないがしろにせずに「自分のために」行動をすることだし


私の場合は Pygmy School の子なら何人もの子どもたち一人ひとりのお話しを聞いてあげることだったりするので、


意識をしなければ通り過ぎてしまうことでもあります。


このシンプルで大切な本質はきっと「命」に置き換えても同じで、


每日をどう生きるか」で命が終わる時に感じることは変わるのだと思います。


年末年始に富士山の山小屋で共に過ごした方が2名も亡くなってしまいました。


参考記事



悲しみに包まれている今はその思いに浸るしかないけれど、時は過ぎていくから


また「日々の中でちゃんと向き合うこと」をしていこうと思います。


ちなみに、年明けに人と会った時につい本音が出てしまい、ケンカみたいになってしまいました。
(´・ω・`)


きっと言葉にいろんな感情が乗ってしまったので、話し合いにならなかったんだなーと思って反省したけれど、


自分の気持ちや考えていることがその相手の方を通して見えたので、きっと必要なことだったんだなーと思っています。


「相手」を通して見えたことや思ったことが自分の本心だから、「誰か」や「何か」のせいって実は一つもないのですよね。


誰かや何かを通して見えた「自分」を知るためには、


人は人と「触れ合うこと」が必要なんだなーと思いました。



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