爆笑してるみたいだけれど・・(笑)
いやー、泣きました。
※写真は爆笑ではなく嗚咽です・・(笑)
泣く予定はなかったのだけれど、言葉にしようとした途端に何かが込み上げてきてしゃべれなくなってしまいました。
何が込み上げて出てきたのかというと、卒業していく子と過ごした時間の中にあったいろんな想いが、感情になって出てきました。
成長の嬉しさと
離れる寂しさと
大変だった時の気持ちと
大きくなった喜びと
いろんな気持ちが混ざった涙でした。
出会った頃は無口で黙々と虫を追いかけて、自分の世界にこもっていた子が
様々なアウトドア・アクティビティを通して、どんどん外の世界と関わるようになり
気がつけば大きな声を出せるようになって、
自分の思いを口にできるようになって、
恥ずかしい気持ちの中あった「積極的な性格」がちゃんと顔を出せて、
「ああ、この子は本当はいろんな世界を見たかったんだ。だけど一人で立ち向かうには「こわい」という気持ちがあったんだ」と思ったことを今でも覚えています。
子どもの持つ個性は誰一つとして同じものはないから、
恥ずかしがりやで少し臆病で、一歩がなかなか踏めないこの子には
安心感を持ちながら挑戦していける環境を心掛けて作ってきました。
※子どもの中には「とにかく行動ありき」な子もいて、そういう子の場合は大人は安全確保をしながらできる限り自由に動ける環境を作っています。
子どもは泣くことが自己表現の一つだし、
頑なに心を閉じる子もいるし、
大人の思うようには動かないものだし、
意思を持った「一人の人」なので、スンナリといかない事も多くあるけれど、
子どもは様々な「感情」を大人に与えてくれて、豊かな心を創り出してくれる存在なんだなーと改めて思いました。
それは時には喜びや嬉しさだけではなく、
怒りや悲しみや悩みなどと心が大きく揺さぶられることも含まれていて、大人に余力がないと受け止められずに跳ね除けるしか術がなかったりもするけれど、
それも含めた心の豊かさを「子ども」という存在は大人にくれるんだなーと思います。
手のかかる子程可愛いのは、感情は心に豊かさを与える唯一のものだからです。
当時というものは大変さが優位に立つものだけれど、過ぎ去った日々が与えてくれるのは心に「残る」思い出なのですよね。
大変だと思うこともいつかは必ず「思い」となり大人の心を豊かにしてくれます。
だから私は「子ども」という存在に魅力を感じるのだと思います。
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