私が接してきた子どもたちは


亀のように行動がゆーーっくりな子や


宇宙まで届きそうな大きな声で主張する子や


ずーーっと忙しそうに動きまわる好奇心が旺盛な子や


じーーっと動かずにお友達のことを観察している子や


おしゃべりし続ける子や


大人の側からずっと離れない子や


気が付くとどこかへ行ってしまう子など


表しきれないくらいに「個性」があって、


その他にも目に見える姿を対比で表すと


行動がゆっくりな子や早い子


もの静かな子やうるさいくらいに騒がしい子


体が弱い子や強い子


背が低い子や高い子


丸々としている子や細い子


よく食べる子や少食の子


午睡が好きな子や全然眠らない子


おしゃべりが好きな子やあまり話さない子などと


「いろいろな子」との出会いがありました。


出会った数だけ「子どもの特徴」があって


同じ子は誰ひとりとして存在していませんでした。


そりゃそうなんです。子どもも赤ちゃんも


大人と変わらない「人」だから。


全員「個性」を持って生まれてくるのです。


今日行った公園にチューリップの花壇がありました。


チューリップでさえ、デコボコで




同じ枠に入らない花もありました(笑)




でも、チューリップは「周りと違う自分」を責めることをせずに


ただただ、太陽に向かって咲きやがて枯れて、自分の一生を全うするでしょう。


なぜかと言うと、チューリップは


球根にそれぞれの遺伝子が入っているただの「花(植物)」だからですよね。


それで、生物学でいうと本来は「人」も


いろんな遺伝子を持って生まれてくるただの「ヒト」なのです。


ただの人類として生まれた子どもは、初めから「自分らしさ」という個性を持っていますが、


いつの間にか社会の一般常識という枠に入り(入れられて)


大人の価値観という目で見られることで、


枠に沿わないことが「その子らしさ」という個性ではなくて、


「問題児」として認識されてしまうのです。


(もしかしたら、チューリップも場所によってはキレイに皆同じに見えるようにと、引っこ抜かれてしまうかもしれませんね。)


子どもは誰もが自分らしく育っているのに、


その子を見る側によって「問題」が生じるということは、


本来は子どもの中に問題は存在しないってことなのですよね。


見る側の大人の中に「傷ついた体験」や「不安」があると


子どもや自分を護ろうとする意識が働き、


子どものただの個性にジャッジが入ります。


そして、ジャッジを受けた子は「いつの間にか」


自分らしさを自分で否定するようになるのです。


そうすると、自分を消して生きようとするから


それはもう息(生き)苦しくなるのは分りますよね。


もし我が子や誰かを「問題視」することがあったら


それは自分の中にある「問題」を見つめる時なのです。


私は個性豊かな子どもに出会えることで、自分の中にある価値観が崩れ、


自分の中にあった問題に疑問を持ち、問題をなくしてくることができました。


手が掛かると思う子ほど、


大人の人生に疑問を与えてくれる素敵な子なのです。


桜とチューリップを比べてどちらが花として良い咲き方かなんて、ジャッジをする必要はないのです〜





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