魚を釣って




頭を叩いて気絶をさせて




お腹を切って内蔵をとりだして


まだ動いている心臓を観察して(これはしなくてもいいけれど)




お腹の中をキレイに洗って


串をさして


塩をふって


炭火で焼いて




食べる。


魚を食べるって


本来こんな風な過程があるのですよね。


私たちはよくこういう体験を子どもたちに届けるけれど、


これは何も命を大切にするための教えじゃなくて


「魚を食べるため」の行動で


子どもにとっては


「楽しい体験」そのものです。




だから私たちは


「魚の命をもらうんだから残さずに食べなさい」


「命を大切にしようね」


などと子どもたちには言いません。


大人の価値観を伝えるために体験をしているのではないし、


「何をどう感じるのか」は子どもの自由で


それこそが子どもたちに必要な経験の一つだと思っているので


「感じる内容」を子どもたちに委ねています。


命を大切に思う気持ちは


大人(自分)のもので、


自分が生きてきた年数の中で


「命を大切にしたい」と思う気持ちが芽生えたからそう思う


「主観」や「価値観」の一つなのですよね。


命の重みなんて時代によって簡単に変わるのです。


命や生きものや食べものは


「誰かに言われたから大切にしなくちゃいけないもの」と


「頭」で認識するものじゃなくて


心で感じる「気持ち」です。


だから、実体験を通して「何か」を感じることが


幼児期には大事な体験になるのです。


「こんなに教えているのにうちの子は理解しない」というのは


子どもの「感じる」をすっ飛ばしているから。


大人の思考(思惑)を手放し、子ども自身の感覚に委ねることで


子どもは自分で心を育てていくことができます。


言葉を鵜呑みにさせるだけの行為(教え)は


子どもの思考を停止させ、感覚を奪う行動なのです。


「お母さんが残さないようにと言ったから食べなくちゃいけない」


というのは頭での理解で、


「全部食べられなかったけれど美味しかった」と思えるのが


心での理解です。




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