愛に「カタチ」を求めると


ほんとうはこうしてほしかった


認めてほしかった


わかってほしかった


何でしてくれなかったんだろう


何で今もしてくれないのだろう


「わたしは愛されていないのかな」


こんな思いが芽生えてくる。


そして疑問はいつか疑いとなって


「あるはずの愛」は


「ないもの」になっていくんだ。


命がお腹に宿った時


「ちゃんと生まれてきてくれるかな」


「産んであげることができるかな」


無事に出産するまでの間に


母親は無数の心配と愛情を


まだ見ぬ我が子へ注ぐ。


そして自分の命をかけて産むんだ。


それは経膣分娩でも


帝王切開でも


無痛分娩でも変わらない。


「出産」は母親の命をかけた


「愛」そのものなんだ。


生まれてからは


こどもは親以外にも


いろいろな人の愛を受けて育つから


「その人の表現の仕方で変わる」その愛を


自我を芽生えさせたこどもは


自分の「主観で」感じとっていく。


愛の感じ方は人によって変わるもの。


だからもし


「愛がほしい」と心が叫びだしたら


愛のカタチを求めるのをやめて


生まれてきたことを感じてみよう。


「生まれてきたこと」そのものが


愛の証。


誰もが愛されてきたんだ。



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