(この写真は生まれて2日目の我が子です )
週末に、生まれて2ヶ月の赤ちゃんに会ってきました。
少し小さく生まれたその赤ちゃんは、よく泣いて、表情がコロコロ変わり、眠ってはおっぱいを飲んでと元気いっぱいに今を生きていました。
そう、今を生きるって赤ちゃんにピッタリな表現だなーと思います。
お腹が空いたらおっぱいやミルクをもらえるまで泣いて、オムツが気持ち悪かったら泣いて訴えて、機嫌が良くなったら笑って、眠たくなった眠って・・・
生きる為に生きている、そんな感じがしました。
お母さんの方も、そんな赤ちゃんに一所懸命に応えていました。
赤ちゃんがどんな気持ちなのかをキャッチして、想像してお世話をして、カタチにならない言葉にお返事をして、
こうやってお母さん(近くにいる人)に構ってもらうことで、赤ちゃんは世界を信頼していくんだということがよく分かる情景でした。
私は職業柄いろいろなお母さんやお父さんと話す機会があります。内容はもちろん「子ども」のことで、中には悩みを抱えていたり、質問をされる方もいます。
それで、いろんな人の話を聞いていて分かったことがあるのですが、
それは、考え方や子どもへの接し方や
悩む視点や質問の内容や
大事にしていることや価値観などが違っても
「どれも親の愛でしかない」ということです。
物事の方向性はあっても、
子どものことを想ってたくさん考えたその時間(思い)こそが、愛なのですよね。
今回会ってきたお母さんは予防接種のことで悩んでいました。
予防接種の賛否がある中、自分でたくさん調べて人からも情報を得て、推進派と反対派の意見を読んで・・最後には「情報を見すぎてよく分からなくなった」と言っていたけれど(笑)
私はこのお母さんが考えて悩んだ上で決めたことが、結果何があっても正解なんだと思っています。
「我が子のことを愛した」
この真実が、予防接種の例で言うと受けたり受けなかったりした上で起きたことを受け止める力となるのですよね。
だから、赤ちゃんと暮らす中で疑問に思ったことは、たくさん調べて悩んで考えて「最後は自分で決断する」ことが大切なんだと思っています。
(赤ちゃんや子どもに委ねて良い範囲のことなら、意見や思いを聞いてそれを尊重することも大切です。大人が決めるべきことと、子どもに委ねていいことはあるはずなのでその線引をすることが大事だと思います。)
子どもに自我が芽生えると子ども自身に「主観」がでてくるので、いずれ親の愛は伝わりにくくなる時がくるけれど、
例えば自分が親になった時、どんなものでも「愛だった」ということが腑に落ちるものなんだと思います。
親にならなくても、出産というものが命をかけるものだと知ったなら、きっと愛されていたことが分かると思います。
参考記事
『 [ss] 愛のあかし 』
2ヶ月の赤ちゃんとお母さんに会ってきて、たくさんの「愛」がそこにあることを確かめてきました。
きっと上手くいくことばかりじゃないし、疲れてしまう時もあると思うけれど、そんな時は愛が存在していることだけを信じ続けてほしいなと思います。
そうすれば自分を責めるお母さんは減っていくんじゃないのかなと思います。
スポンサーリンク