この森に動物の骨がありました!


自然の中で遊んでいると、実に様々な死のかたちに出会うことができます。


上手に飛べなかったのかな?巣から落ちちゃたのかな?と思われるような鳥の雛(赤ちゃん)が落ちていたり


ケンカに負けたのかな?と思うような鳩が羽を散らばせて横たわっていたり


モグラに小さな虫がたかっていたり


何かの動物の骨にハエが集まっていたり


ミミズがちぎれていたり


魚が川から打ち上げられて干からびていたり


小魚を手に乗せたら手の温度で死んでしまったり


カモメや鵜が生きている魚を食べたり


移動中の高速道路では何かの動物がひかれていたり


クロトンボが車にぶつかって落ちていく姿を見たり


鳩が車にひかれる瞬間を見たこともありました。


Pygmy Outdoor Lifestyle School FUTAKO TAMAGAWA(ピグミーアウトドア・ライフスタイル・スクール二子玉川) では避難訓練で道路を歩いたり、多摩川河川敷へ行く為に道路を歩いて移動することがよくあります。


それと、自分で虫を踏んづけて死なせてしまったりすることもよくあります。


あまりに悲惨な状態でなければ、自然物そのものの死の姿を私たちは観察するようにしていて、※触ることはせずに見る観察です。


上記のように雛が落ちていた時には「上手に飛べなかったのかな?巣から落ちちゃたのかな?」などと「なんで死んでしまったのかな?」と想像をしてみたり、


骨を見つけた時は、動物の体が肉から骨になることを発見したり、


虫がたかっている様子からは、体が小さな虫たちのご飯になることを知ったり、


または、小さな虫たちが体を分解してくれて土に戻すお手伝いをしていることが分かったりと


観察からいろいろな発見を子どもたちはしています。


時には自分以外の素敵な足跡も発見できます♪


自然物と人はまた違うかもしれないし、愛着という気持ちがあるかどうかでそのものへの想いは変わるものだけれど、


「死」に遭遇する機会が減った日本において、


虫や鳥や動物などの死に触れる機会は、子どもの心の育みにとってとても大事なことなんじゃないのかなと思います。


先日お葬式に参加した Pygmy School の子がこんなことを口にして教えてくれました。


「◯◯は天国にいったよ。天国にはカブトムシやクワガタがいるから寂しくないんだよ」


「網があったらバッタも捕まえられるね」


「◯◯は骨になっちゃったよ。体はなくなっちゃったの」


それと、嬉しそうな顔をして「お葬式のお菓子いっぱい食べたの」も。


きっとこの子にとっての天国は、カブトムシやクワガタに会える楽しい場所になっているのでしょう。


人の体が骨になることも動物と同じ命の在り方なのだと、理解はしてなくても何か感じたのかもしれません。


自然の中にいると生と死が普通にあって、生きることも死ぬことも「命」なだけなんだと気が付かされる出来事が多くあります。


悲しい気持ちはそのものに愛着を持つから芽生える気持ちなので、死=悲しいものだとは限らないけれど、


虫や動物たちに触れ合うことで子どもたちの中に様々な感情(心)が芽生えていったらいいなと思います。


生死に対しての心の免疫も触れ合うことで付いていくので、これからも子どもたちをたくさん自然の中へ連れて行ってあげたいと思います。







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