新生児を観察していると、「泣く理由」がいくつかあることが分かります。
今目の前にいる子の例だと
お腹が空いた時
おっぱいが飲みたい時
おっぱいが上手く吸えない時
おっぱいだけじゃ足りなくてミルクも飲みたい時
ゲップが出ない時
うんちが思うように出せない時
おむつが濡れている時
眠たい時
眠たいけれど上手く眠れない時
口さみしい時
抱っこで揺らして欲しい時
甘えたい時などに
泣いて、
逆に、お腹が満たされて、排便もスッキリできて、おむつもキレイで、よく眠れた後は
ご機嫌な様子で一人で遊んでいて、とても満たされた表情をしています。
泣き声も
甘えた声、泣いてみている声、本気で泣いている声、怒っている声、踏ん張っている声(笑)などと、
実に様々な泣き方をします。
生まれて間もない赤ちゃんは「快」か「不快」かにとても敏感で、自分が「不快」な状況になった時に泣いて訴えるのですよね。
私たち大人は、自分が「不快」になったとしても、つい我慢をしたり、仕方がないかと諦めたりして、自分が感じたことを「なかったこと」にするけれど、
「なかったことにする」と言うことは、自分を消すことと同じで、「自分を大切にしていない」ということとイコールになるから、結果的に「幸せ」になることはありません。
自分を大事にできなければ、「幸せだな〜」「嬉しいな〜」などと感じることは難しいのですよね。
※例えばマゾヒズムの人も、その状況が自分に幸福感を与えるから、一見自分を傷つけているように見えても実は自分を(自分の感覚を)大切にしていることになります。
赤ちゃんは、幸せな人生を歩むために、自分の「快」と「不快」にとても忠実なのです。
多くの産院や育児書では、「新生児には泣いたらおっぱいを吸わせる」と教わると思うのですが、
おっぱいの出をよくする為にや、おっぱいを吸う練習などでは泣いたら吸わせることは良いのかもしれないけれど、
「泣いたらおっぱい」とインプットしてしまうと、「観察する視点」が抜けてしまうので、上記の赤ちゃんの(その子の)「快」と「不快」を知ることが難しくなってしまいます。
「泣いたらおっぱいを吸わせればいい」と思っていると、その子が本当は何を訴えているのかが見えにくくなってしまうのですよね。
実際に入院中に「泣いたらおっぱいを吸わせてください」と言われ、一緒の部屋にいたよく泣く子のお母さんは一所懸命におっぱいを吸わせていました。
本当によく泣く赤ちゃんだったので、お母さんは夜通しおっぱいをくわえさせていたようで、カーテン越しにため息が聞こえてきていました。
産後の心と体に辛かったんじゃないのかな、と思います。
赤ちゃんがこの世をより幸せに生きる為にも、お母さんが赤ちゃんとの暮らしを幸せに思う為にも、
自分と赤ちゃんの「快」と「不快」を知り、妥協せずにその感覚を大切にしていけたらいいなと思います。
「快」と「不快」とは感覚そのものだから、頭で考えたことに正解はなく、感じたことが全てになります。
だから、自分の感覚を大切にするということは、自分を幸せへと導く道しるべになるのです。
私も新生児との暮らしの中では、つい頑張りすぎて気が付いたら疲れていたということも多くあるので、自分が「快」になる状況を意識的に作るようにしています。
アロマの香りで癒されたり、お風呂にはまだ入れないからシャワーで首を温めてホッとしたり、大好きなイチゴを買って来てもらって1パック食べたりと物理的な行動の他に
「自分の不快さを無視しない」という精神的な自分への優しさをあげることを大切にしています。
泣きたい時には泣いて、疲れちゃったら「疲れたよー」と言葉に出して、自分でできなかったら人にお願いして、
自分の不快さをそのまま受け入れることを自分に許しています。
赤ちゃんとの暮らしを楽しむ為にも、お母さんは自分の感覚に忠実になり、家族や産後のサポートをされる方はその感覚をそのまま大切にしてあげてほしいと思います。
私は感謝することに、家族がこのままの私を受け入れてくれています。この安心さが産後の私を大きく支えてくれています。
10年前の初産の時に感じていた孤独感と、今の安心感と、両方体験できたからこそ「安心感」が産後のお母さんの大きな味方になることを伝えていきたいと思います。
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