パートナーの故郷の富山に行ってきました。
朝日町というところの海岸で翡翠がとれるそうで息子と探してみたり、
岐阜県まで足を伸ばして世界遺産の白川郷(合掌造り)をみたりと
のんびりとその場の幸を味わってきました。
もうすぐ生後3ヶ月と10歳の息子と一緒に過ごしたのですが、本当にのんびりとゆったりした気持ちで過ごすことができて、東京にいる時と何が違うのかなーと思ったら、先ず広さが違いました。
ビルや高層マンションなど住宅を上に積み重ねる必要がないので、建物に邪魔されることなく空が一面と広がっていて気持ちが良かったり、
家と家との間隔が広いので隣の人を気にしなくていいから赤ちゃんが泣いても問題がなかったり、
泣く前のへの字口が大好きです・・笑
一軒一軒の家が大きいから赤ちゃんが泣いても子どもが騒いでもたいして気にならなかったりと、広い土地の良さをたくさん感じました。
それと、自分たち以外に赤ちゃんを見てくれるお義母さんや小学生の息子と遊んでくれる伯父さんがいたので、親の私たちも気持ちにゆとりがあったのだと思います。
土地の狭い東京に住んでいると、赤ちゃんが泣いたら苦情が来ないようにと先ず窓を閉めてカーテンをして泣き止むまであやし続けたり、
泣かせないように神経を常に使っていたりと、そんな経験をしたことのあるお母さんも多いんじゃないのかなと思います。
私は10年前に下北沢の実家で元気に泣く息子と過ごしていたら、2度も通報されて警察が来たことがありました。
東京は土地が狭くて人が密集して暮らしているから、赤ちゃんや子どもの泣き声が嫌いな人にとっては騒音になってしまうのだと思うけれど、
みんな子どもだったはずじゃん、赤ちゃんの頃泣いたでしょ??!!と逆に怒りが湧いたのを覚えています。
赤ちゃんの泣きは大人の言葉と同じ。これを忘れている大人が多すぎると思います。
私が住む場所ではバスが混雑したらベビーカーを畳まなければいけないのですが、赤ちゃんを「歩けない一人の人」として認識していたらそんな発言は出ないはずなのですよね。
そういう出来事がある度に、赤ちゃんのことも尊重できる社会を作ろう、先ずは自分がそうしようと思います。
今回広い富山で赤ちゃんと過ごしてみて、子どもは環境によって良い子にも悪い子にもなるものだなと改めて思いました。
同じ「赤ちゃんが泣く」という行為でも、極端な例えだけれど、狭い東京で泣くのか広い富山で泣くのかで、大人が受けるその子の印象は変わるのですよね。
狭いところで泣いたらうるさいから悪い子、広いところなら気にならないから良く泣く元気な子などと環境によって変わるんだから、本当は良い子とか悪い子なんてのは幻なのです。
富山で3人の男の子と暮らしたお義母さんが言っていました。
「しばらく泣かせっぱなしにしていても問題ないし、大変になったら側にある実家に行けばいいから、子育てはそんなに大変じゃなかった」と。
(こちらで誰の手も借りずにやんちゃ坊主3人と暮らしていたら多少なりとも大変さは感じるんじゃないのかなと思います。私は男の子一人でも大変でした・・。)
静かにしなさい!と怒らないといけないのも、子どもと接していて疲れちゃうのも環境によって変わることだから、子どもが悪い子なわけでも自分が至らない親なわけでもないのですよね。
だから、東京で頑張っているお母さんたちには、自分を責めるとか一切不要な行為なんだと知ってほしいなと思います。
本当は、みんな良い子、可愛い子。
可愛いと思えなくても悪い親じゃないし、悪い子でもない。
今可愛いと思えないだけの話なんだとそのまま受け止めていいことを知れると、自分や我が子を責めることが不要になり、子どもとの暮らしはより楽しくなります。
どんな環境の中で子どもと暮らすのかは大人の私たちは選べるものだから、家族に笑顔が増える環境の中で暮らすことを選んでいってほしいなと思います。
ちなみに富山県の人口は約105万人、私の住む世田谷区の人口は約90万人です。人口密度の高い場所を私は選んで暮らしていることになりますね・・。
だからこそ、人口の少ない多摩川河川敷へ出掛けて子どもたちを放牧することをセットにして暮らし、
みんな良い子、可愛い子なんだと思える環境を作っています。
スポンサーリンク