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30代後半という年齢で産んだ第二子で、10年ぶりにきてくれた赤ちゃん。本当は何歳まででも授乳していたくて、欲しがるだけあげていたかったおっぱいなんだけど、


1歳を機に夜間の授乳をやめたら、昼間に飲む機会がなくなってしまい、あっけなく卒乳していきました。ああ、さみしい。


第一子の時はおっぱいにパンダの絵を描いて「おっぱいはパンダさんになっちゃったんだよ。おっぱいバイバーイ!」と(笑)断乳をして、しばらく授乳をせがむ息子をなだめるのに苦労をした記憶があるのですが、


生まれて退院してから Pygmy Outdoor Lifestyle School FUTAKO TAMAGAWA(ピグミーアウトドア・ライフスタイル・スクール二子玉川) に通う子どもたちと過ごし、


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毎日自然の中で遊んでいる第二子は、刺激物の多い環境と共に好奇心も素直に育ち、日中は遊ぶことに夢中でおっぱいどころではないという感じです。


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可愛いドロボウさん(笑)


いつまでも飲んでいてほしかったという私の思いとは違い、早々と旅立って行った息子の姿を見ていると、自分のお腹から出てきただけで我が子もまったく自分とは違う「人」なんだと改めて思います。

赤ちゃんだろうと幼児だろうと「自分とは違う人」ということは、私の思い通りに育つわけでも、思った通りの子でもないわけで、


これを間違えて、自分の歩んできた道を軸にして考えて、我が子を思うように育てたい(こんな大人にしたいなど)と思っていると


思い通りに育たなかった時には


「こんなはずじゃなかった」「なんで思う通りに育ってくれないの」などと相手や自分を否定してしまったり、


「うちの子大丈夫かしら」「社会でちゃんとやっていけるのかしら」などと心配したりしてしまうのですよね。


(ちなみに、社会に合わない子はいるし、いて良いと思っています。私は社会に合わない子は、新しい社会を作る能力がある素晴らしい子だと思っています。)


“我が子は自分とは違う人”


ならば、育ち方も育つ速度も違うし、どんな大人になるのか、どんな未来が待っているのかも違います。


と、いうことは、血を分けた我が子ですら唯一無二の人生を歩むのだから、他の子と違うのは当たり前なのですよね。


だから、同じ年同士でも子どもの育ちを周りと比べること自体が変だし、平均や統計という実在しないものに成長を当てはめようする必要もなくて、


比べるならその子の過去と今を比較して「大きくなったな~」と喜びを感じることがいいなと思います。


どんな大人も個性を持った素晴らしい人なのだから、子どもたちの“我が道を行く”という行動は「周りに合わせられないダメな子」でも「協調性のない子」でもなくて


「自分らしく生きる素晴らしい子」なのです♪


さて、私は気持ちを引きずらないためにも、卒乳の寂しさが消えるまで今はその気持ちに浸って、


同時に湧いてきた自分への「私のからだ、ありがとう~!赤ちゃんにたくさん栄養をあげてくれてありがとう!」という言葉と共に、


夜中の授乳や新生児の頃の頻繁な授乳を頑張った自分を褒めてあげたいと思います♪


そういえば、、


卒乳する前にインフルエンザに息子が罹ってくれたお陰で、これでもかっ!っていうくらいに授乳をたくさんすることができました。インフルエンザよ、ありがとう~




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